父子家庭で社長の日記

父親として、2代目社長としてして、人間万事塞翁が馬だと思うことを書き綴ります。

離婚を決意した瞬間

おはようございます。

 

土日は、家庭の事を主軸に行動していました。

 

1週間の食料の買い込みでスーパーに行ったり

 

洗濯や掃除、休み休みですがやっていました。

 

次男は、外食よりも、どうやら私が作るご飯の方が良いみたいで

 

一緒に作ると楽しそうに、手伝いをしてくれます。

 

でも、気分によるみたいで、手伝いたくない時は一切してくれません。

 

2人で暮らし始めた理由にちょっと触れたいと思いますが

 

当時の気持ちをあまり思い出したくないのが本当のところです。

 

今を楽しく過ごせているので、過去の事を思い出す必要はないと思いますが

 

最近調子の良いことを言ってき始めたので、またか・・・と言う思いから

 

やはり、最初の所は忘れてはならない事なんだと再認識しました。

 

調子のいいことを言ってきたのは、元妻。

 

長男の専門学校の入学費、自動車学校の入学費用

 

これらについて、まぁ、高校卒業のお祝いでと言うことで

 

祖父母と私から、費用を出す事を伝えていました。

 

もちろん、月々の養育費とは別にです。

 

理由は、長男が自動車学校に通わないと言ってきたからでした。

 

長男にどうして、免許を取りに行かないのか尋ねても

 

はっきりとした回答がでず、結局元妻が自動車学校のお金は

 

息子自身が働いて(バイト等をして)出す事と言い出していたようです。

 

地方の、ろくに公共交通機関も無い中、

 

自転車しか移動手段がありませんで、就職できると本気で思っているのでしょうか?

 

100歩譲ってバイトはできるでしょう。

 

まぁ、本当に子供達の教育方針について、大きな違いがありすぎて

 

離婚に至ったのですが、いまだに振り回されます。

 

長男はすぐに、自動車学校に通い始め楽しそうです。

 

 

 

ここから離婚に至った経緯を少し。

離婚当時に書いていたメモが残っていたので、抜粋してみた。

 

私は、離婚して本当に良かったと思っているし、何より子供達への母親の虐待から引き剥がせた事が、子供達が前に進めた一歩を後押し出来たと思っている。

離婚までの6年と半年、別居状態であったものの、給料日には給料から毎月、サラリーマンの1か月分以上の給料位を生活費40万円を渡していた。

かなりの額だともいまでも思う。

 

それでも、離婚の時には、貯金は無いそうだ、私は驚きと同時に呆れてしまった。

 

 

長男は、母親から見放され、追い出され、私の所に転がり込むように離婚の2年前に来た。

長男はその時、脳の手術を行っていて、身体は問題ないが学校に通えなくなってしまっていた。

その為私は2年の間に、長男は高校からの学生生活を目標にして勉強ができる環境を整えた。

 

中学生の3年間分を、たった半年間ではあったものの家庭教師を付けて必死になって、時には駄々を捏ねながらも勉強をし、学校の面談に行った時は、震えていたし、終わったら、鼻血が出る位緊張し、高校生活から戻ると言う決意を、私は尊重し、応援をした。

 

そんな時に次男が、真冬の雪も降りそうな位、寒い日に締め出しに合って、私のお店まで来た。

その時、本社にいた私は、下のお子様が1人で来てます。と、売店の店員が不思議に思ってくれ連絡をしてくれたのだ、私は車を運転しながら、平日の夕方におかしいし、何より1人で簡単に来れる距離ではないから、不安を覚えつつ、お店に急いで向かった。店に入ると次男が、うちのジェラートを食べながら店の端っこに座って食べていた。

 

店員が、心配そうな顔をしていたのを今でもはっきり思い出される。

次男に私が出来るだけ明るく声をかけた、次男は振り返って、安心したのか、ジェラート食べてるんだよ。と、一言だけ言って、俯いた、私は、どうした?寒かっただろ?と言いながら思わず抱きしめていた。

ものすごく薄着だったからだ、抱きしめた次男は、泣き出すのを我慢出来ず、抑えていた感情が溢れてしまった。

 

売店の店員に、私の自宅へ連れて帰る事を伝え、車に乗せた。

 

自宅に着き、長男に何も次男に聞かないよう頼んで、暖かい風呂に入らせて、暖かい格好をさせ、祖父母に一旦預け、仕事場に連絡し、指示を出し帰宅することを伝え、次に元妻へ電話をした。

 

彼女の開き直った物言いを聞きながら、私はその時に、子供達を守れるのは自分しかいないと思った。

 

よく、子供は母親といる方が良いと聞いてきた。そのために私は別居も受け入れたし、月々の給料もちゃんと渡していた。それは子供達が困らないようにする為であった。

 

しかしそれは、全くの事実ではない事に気が付いた。

 

実は、もっと長いメモでしかも途中です。

これが、離婚に至るきっかけといいますか、離婚を決断したきっかけです。

色々と積もっていたのも事実で、破綻していたのも事実です。

私は、もっと穏やかな気持ちで暮らしたかったし

子供たちと一緒にいたかった。

いまも、どろどろした気持ちになる事を、やはり思い出したくない。

 

でも、まとわりついてくる元嫁。

そこは、また別の時に・・・