父子家庭で社長の日記

父親として、2代目社長としてして、人間万事塞翁が馬だと思うことを書き綴ります。

やっぱり、仕事と家庭の両方は辛いのか?

こんにちは。

いま、長男が帰ってきている事は書きました。

次男との2人の生活に、長男が入ると結構大変なことが多いです。

 

次男と2人なら、ペースを合わせる事も容易でしたが

3人のペースを合わせるのが、こんなにも大変だったとは><

 

まぁ、長男は向こうでほったらかしのようで

気ままに過ごしていたのでしょうね。

そこに我々のペースに合わせようとしても難しいのも当然で

色々と軋轢が生まれます。

 

両人とも優しい子なので、衝突は以前よりも減りましたが

お互い気を使うので疲れるのが本音です。

私も、病気のせいで疲れやすいのもあり

家での食事の支度や、買い出し、各種学校への届出

もちろん、会社の仕事など多岐にわたると

どっと、疲れます。

布団に入ると、5分もかからず寝てしまう毎日です。

辛いと思うのか、楽しくやれていると思うのか

気持ちの持ちようだとは思います。

体調さえ万全であれば言うことはないのですが

いかんせん、甲状腺の病気は、体を休めたいと思ってしまいます。

病気の原因が今行っている病院だとわからなく

様子を見ようの一点張り

正直、倦怠感が1番ひどいので

その部分だけでも、なんとかしたい。

町医者でなく、医大などの大きな所で調査してもらいたいです。

明後日に病院に行くのですが、そう言った相談を病院にできるのかしら?

よく分かりません。

具合の悪い状態を長く続ける意味がわからないので

その辺りを聞き、答えが出ないようであれば

大きい病院で調査したい事を伝え、紹介状を書いてもらいます。

 

 

養育費200,000円

昨日は日曜日で、ブログを休みました。

連日WBCを、息子達と観戦していて

日本代表選手の偉大さに感銘を受けています。

世界で活躍する選手、これから世界に羽ばたく選手

眩いほどの光を放っていますね。

当然、そこに至るまでには、壮絶な試練や努力があったことでしょう

それをやり遂げる意思も同時に持ち合わせる精神力

回りのサポート、理解、指導してくれる人との出会い

どれが欠けてもって感じですね。

 

我々のような一般人からすると

羨ましい世界であり、憧れの世界でありますが

振り返ってみても、努力を怠っていたわけでもなく

運を逃してきたわけでもなく

彼らとは違う選択を辿ってきただけだと思います。

まぁ、私は様々な精神的な圧力で、

心が疲れてしまい、今も療養中ですが

療養中であっても、仕事には引っ張り出されますし

その柵からは、一生逃れられないことなのだと

最近は諦めていて、子供達には、それを背負って欲しくないと思っています。

 

前妻は、離婚してから一回も電話をしてきませんでした。

そこに、長男が高校を卒業、あと1年と数ヶ月で仕送りが終わる

月20万円を養育費で渡していますが、当然それがなくなると

どうなるかは、理解しているのでしょう。

突然の連絡があり、これまで無視するような態度をとってきたけど

これからは、友人や親戚のような関係でいたいといってきました。

は?

今まで、次男の事を話しても、ふ〜ん、あ、っそう。で終わっていた人間で

私たちの生活や、私のことなど全く聞いてこなかった人間が

手のひらを返して、まぁ何を言っているのやら。

顔の皮の厚さに驚きを隠せません。

結局、お金が欲しいのでしょうね。

 

正直、私は聖人君子ではありませんし

慈母愛に溢れている人間でもありません。

愛は差別だとさえ思っています。

 

長男がまっすぐ、優しい子に育ってくれる事を祈り

これからも、長男をサポートをしていきたいと思っています。

 

ピザ窯でお昼ご飯

私には、2人の息子がいます。

長男は、前妻の所に

次男は、私の所で生活をしています。

 

長男は、この4月から専門学校に通うことになりました。

今までも、長期休暇のたびに、泊まりにきてくれています。

次男は、前妻のところにいくことはありませんし

前妻から呼ばれる事もないので、可哀想に感じますが、

そこはまた別の機会に。

 

今日はお昼ご飯を3人で作りました。

すでに、火おこしをしてゆっくり窯の温度を上げている所です。

冬の間は、寒くて使っていませんでしたが

暖かくなり、そろそろ遊びながらお昼を食べて楽しめる時期です。

 

上手に焼けていますね〜

生地はパリパリで、チーズは熱々でした。

美味しく食べれて、祖父母の一緒に楽しめましたよ。

普段から、なるべく外食はせずに

手料理を作るようにしていますが

やっぱり、皆んなで作るのは楽しいものですし

大人数で食べると美味しいです。

 

こんな時間が時々あると、心身ともにゆとりができますね。

幸せな時間をくれる息子たちと父母に感謝です。

株主総会をやりました

例年であれば、土曜日の午前中に行うのですが

今年は、監査役の方の都合で平日の夕方からになりました。

 

私は進行役ではなく、筆頭株主としての決議権を行使するだけですのですが

営業報告や役員報酬、配当金などなど

まぁ、皆んなどれくらい貰えるか、他の役員はいくらもらっているのか

そんな事が気になるようで・・・

あいも変わらず、金の亡者でした。

 

私がそのあたりについて、無頓着すぎるのか

若い頃から、人は人、自分は自分と思っているのですが

おかしいんですかね?ね?

 

とにかく、今年も安定して利益が出ております。

税金も納め、純利益もしっかり昨年を上回る成績でした。

これは、ひとえに社員一人一人が頑張ってくれた結果です。

社員に負担が大きすぎていないか、ちゃんと休みが取れているのか

その辺りにも配慮していかなければならない時代です。

ボーナスばかりでなく、精神的な所でも心配りをしていきましょう。

 

毎回役員会でも議題に上がりますが

人が育っていける仕組みを作っていかなければならないのが

うちにとって、早急な課題です。

手はいくつ打っても、成果にたどり着くのは少ないと思います

正解を早急に出すのではなく、とりあえずやってみて

違うなら、引っ込めて、修正してやり直してと言う

時間のかかる事を取り組んでいきましょう。

銀行へ

まぁ、当然ですが我が社も、メインバンクなるものがございまして。

色々とあります。

 

我が社は、創業以来黒字経営です。

一度も赤字になったことがございません。って言うのが誇りです。

って雰囲気は、社員も持っています。

ちゃんと、税金も払っています。

 

ですので、銀行でお金を長期短期含め、借りなくても自己資本でやれます。

それでも、こういうご時世なので何かあってからでは遅いので

多少は借入をしていますが、金利無しとかになります。

 

それが良いことなのか、悪いことなのか。

とにかく、今日はメインバンクに行ってきました。

個人の通帳が見当たらない、無くした、紛失です。

全く持って情けないことです。

ちゃんと、管理していたつもり・・・

ヒューマンエラーですわ><

 

やはり、家庭の事をやって、会社の事をやって

年をとったから、忙しいと忘れっぽくなっているのかなぁ。

と、言い訳していますが、使ったら元の場所に戻さない自分が悪い。

それだけのこと。

 

こう言うことが起こるたび、反省して対応を取りのですが

1人で確認を取るには、限界なのかなぁ。

しっかりせねば。ねぇ〜。

 

名古屋出張

会社の朝礼に出席して、名古屋に出張でした。

 

くだらない、某会社代理店会の役員会に出てきました。

まぁ、必要のないか会合。

こんなものに、時間を取られ、疲れも溜まる。

議題の話しは、10分で終わり

あとは会食。

しかも、美味しくない。

まぁ、知らん人の話をぐだぐだ聞きながら、

ニコニコ合いの手打って、

そうなんですね〜^^

すごいですね〜^^

そう言えば、こんな事も書かれていましたよ〜^^

などなど言いながら、食べる飯が美味いわけもなく。。。

店の味が悪いのに、輪をかけて、美味しくなかったです。

 

夕方まで名古屋にいて、息子たちの夕飯に天むすを買ってきました。

きっと、駅構内で買った駅弁の方が、ずっと美味しいw

味噌汁は、何を作ろうかな?

そんな事を考えながら、帰りの新幹線でこれを書いています。

では、このへんで失礼します。

 

 

 

 

 

会社の事

昨日は家族構成について書きましたので、今日は会社の事を書けたらと思います。

 

うちの会社は、私の父が35年前に東京にあった会社から独立暖簾分けをした会社です。

35年前というと、ちょうど日本が右肩上がりに成長していた頃ですね。

その頃の会社の事は、私も詳しくは知りませんが

10人未満ではあったものの、数多くの大手企業様とお取引きもあり

商社という枠では収まらず、工事案件やメンテナンスなどもしながら

苦労を社員と分かち合いながら、ガンガン進んで行ったのだと思います。

 

私が入社したのは20年前で、その頃にはすでに社員数は30人弱で

営業で成績が優秀(稼いでいるものが、大きな声を出せる)で

大手優良企業様を顧客に持っている人間が稼げる仕組みでした。

回りからは現在程ではないものの、売上も利益も地元商社として認知され

知名度も地域の同業他社からもライバル視させる企業になっていました。

 

私が入社した時の社員番号は、157番目。。。

会社にいるのは、28人(役員含め)。

つまり、15年の間に100人以上辞めている会社だったのです。

 

私は、そんな会社に前職の建築業から設備営業として入社しました。

会社の同年代の社員は、総務経理にいた1人を除き

話さえまともに出来ない人ばかりでした。

社員同士で、腹の探り合い、嘘をつく、騙す、脅す、ゆするが横行していて

私は、そんな中で朝は6時に出社、夜は午前12時を回る日が連日続き

土日もなく、工事の立ち合いを行い、年間休日は30日も無っかったと思います。

もちろん、いまみたいに残業代など法的な整備もされておらず

まぁ。宣伝で「24時間戦えますか?」と言っている時代でしたから

社会の空気がそうだったのでしょう、私もそれが当たり前と思っていました。

働いても、達成感は無く、無気力なまま、目の前に転がってくる仕事を

片付けているだけでした。

こんな会社にはいたくないと思う反面、父親からは次期社長として

この勉強会に出ろ、講演会に行け、研修に行け、仕事は当然待ってくれず

研修中にもこなし、帰社してからこなしていました。

 

そして、体が悲鳴をあげはじめ、幻聴まで聞こえ、起き上がるのもやっとで

数ヶ月の間に過食から激太り、体重は120kgを超えました。

それでも会社の為、社員とその家族の為と言う義務感を押し付けられ

無理をして働き続け、周りの声も、家族の声も、何も聞こえない日々

正直、いま思い返しても、あの時の記憶が蘇りません。

数年間会社を離れ、農業をやり始め、農作物を通して

人との繋がりや、感情を取り戻していけました。

 

ただ、そこにも父と会社の影響が残っていて、結局は雁字搦めに

縛られていました。

 

そして、社長と言う立場を株の譲渡によって引き渡され

売れない株と同時に贈与税3000万円が重くのしかかり

10年かけて築き上げてきた、農業の実績も壊されてしまいました。

 

引き継いだ株の会社は、現在も父が実質的に支配しており

私は長年のストレスから、甲状腺が腫れて痛みが出るため

治療と療養をしていて、会社には体調の良い時に出社しています。

 

正直な気持ちは、売却して借金や柵から解き放たれたい気持ちです。

 

会社の事を書こうと思っていたのですが、私の社歴になってしまいました。

現時点では、息子には会社を継がせるつもりは全くなく

同じ道は歩ませたくありません。

まぁ。同じ道になるかはわかりませんが、株を引き継ぐ時に

日本国にいる以上、相続税はかかるので借金はできるでしょうから

それは避けたいと思っております。

 

私の代わりに、社長となれる人物の育成、それをできる人を雇い入れて

ホールディング会社に株を集め、そこの代表になるのが理想ですが

いまはまだ先の話しですね。

 

今日はこの辺りで終わりにしておきます。